三男出産時


1980年11月18日 予定日を過ぎても、強い陣痛が始まらないので
自宅近くのかかりつけの産科に朝から、入院していました。
そして、昼過ぎから、陣痛が始まりましたが、もう、2回も出産経験があるので、
腹式呼吸をしながら、子宮が全開するまで、ベッドで、なんとか、早く産れてくれないかなあと、
頑張っていました。
付き添っていた義姉は、あまり私の陣痛がそれほどの痛みも無いので、
「こういうお産だったら、楽でいいわね」と言い、背中をさすってくれていました。

いよいよ、分娩室に入り、先生、助産婦さん、看護婦さんで、介助を受け、
お腹を押して、やっと、赤ちゃんは出てきました。が その瞬間、お腹が急にへこむ様な感じで、
違和感がありました。

しばらくして、出産後の世話も終わり、分娩室には、助産婦さん一人になり、
下の方の出血の様子を見ていましたが、「出血がまだ、止まらない」と言い、
助産婦さんの顔色が血の気を引くのが寝ている私にもわかりました。

すぐに先生が呼ばれ、私の出血が止まらないので、
今から、止血の為、輸液をしますから、と、説明をしました。
私はこの時、血液の成分を入れますと言われたので、輸血をしてもらうんだと思い込んでいました。

寝ている右側と左側の上方から、点滴がされました。
私はその時、輸血をしてくれるのかと期待をしてましたが、ぶら下げがった点滴は 赤色では無く、
透明な液体でした。 
私は内心 生血ではなく、点滴みたいなものなので、ちょっとがっかりしました。


それから、何回か先生が来られ、出血の具合を診ていましたが、とうとう、看護婦さん達の前で、
「なんで止まらないのか! おかしい?」と どこにも向けようの無い気持ちだったのでしょうか、
ものすごく おこって怒鳴りました。、看護婦さん助産婦さんが何人もいました

先生は、開院される前は、公立の病院で、長年、産婦人科の経験があり、
温厚な優しい頼りになるタイプの信頼のおける、先生です。
その医師が、あれほど感情を表に出して、怒ってるのは初めて見ました。
それも、私が出産後の出血が止まらない状態で・・・

私も不安になり、どうなるんだろうか、止血の点滴は効かなかったんだろうか?
これからどうなるのかと、思い眼を瞑りました。
すると、先生は 「おい!眠っちゃいかん!」と私の両頬を叩きました。


それから、すぐ先生は大きな注射を持って来て、「ちょっと、注射しますからね」と
お腹の真ん中に針を刺しました。 そして、 それから、すぐに出血は止まりました。

後から聞いたら この注射は子宮収縮剤でした
先生から聞いた所によると、現在もこの子宮収縮剤は使用されてるそうです。

お産が午後4時22分で出血が止まったのが、午後9時過ぎ頃だったでしょう
その後、私は真夜中1時頃まで、分娩室で動かさない様に寝ていました。
でも、あまりにもお腹が空いてきたので、助産婦さんに言っておにぎりを作ってもらい分娩室で、
寝たまま食べました。
本当は 分娩室では、衛生上、食べたり出来ないんですけど、先生に聞いてきますからと
看護婦さんは、言ってくれました。
まあ、後にも先にも 分娩室でおにぎりを食べたのは 私だけでしょうね。

翌日から、立てるようになり、トイレに行くとゼリー状の固まりがどんどん落ちてくるのです
イチゴゼリーのその固まりを、あまりにも多く大きいので、採って見せ、その事を看護婦さんに話すと、
大丈夫ですからと安心するように言われました




翌年 1981年2月 中旬  三ヶ月後 出産時、先生に言われていたとおり、私は血液検査に産婦人科に
行きました。 診察室で先生は 「うーん? 今日は何しに来たの?」と 言われました。
私は、「先生 出産の時の輸血したので 三ヵ月後くらいに血液検査をしなければと 
言われたのでその検査に来ました」

すると、先生は「 あなたは 輸血してないよ!」 と言われたのです。
 私はビックリです。  なんで? 忘れたのかしら?・・・・・
 私は、「先生! お忘れになったんですか? 出血が止まらないで、血液の成分が入ってますとか説明されて、
止血の為、点滴したじゃないですか   その後、先生が 肝炎に感染するかもしれないから、
 血液検査を三ヵ月後くらいにしようと 仰ったじゃないですか?」

先生は カルテをもう一度見直し、そして血液検査をしてくださいました。

そして、それから、2週間後くらい経って 産婦人科に検査の結果を聞きに行きました。

先生は 私にB型肝炎には 感染していません。  でも、将来 非A非B肝炎といわれるかもしれません。

私は、その話を あまり気にせず、病院を後にしました。


そして ・・・・・・・・それから あまり日が経ってない 小春日和 近所の子供の同級生のお父さんと会いました。

田舎道ですから、あまり人も通りません  
その知人が突然、切り出した話は 

「あなたの出産の時にね・・・・ 僕が届けた●●剤で あなたは命が助かったんだよ!」

晴天の霹靂 とは この事でしょうか?

まったく、私には、え〜っ? でした。

確かに この知人は、医薬品会社の営業で私のかかりつけの産婦人科にも行っています。

でも その当時の29歳の私には、血液関係のものは すべて、日赤が取り仕切っていると 思っていました。
普通の会社が扱っているとは 思っていませんでした。

私は、「あれは、 日赤が・・ じゃないの?」 と言い返しました。
彼は 急に黙ってしまいました。

そうだ〜  出血が止まらないのが 分って、すぐに止血の点滴の用意が出来たのは、なんで?


この時点で まだ、私には C型肝炎の感染は知りえませんでしたし
その恐怖も知るはずは ありませんでした











訴訟

薬害肝炎裁判を、傍聴して、このフィブリノゲンの止血効果が、無い事を知り、
また、被告側証人の証言でも、産科DICの使用には、不適だと証言しています。

色々なC型肝炎の方から、感染当時の話を聞くと、やはり、出産時の止血剤投与が多いです。
産後の出血が止まらず、フィブリノゲンの止血剤も効果ないので、
とうとう、大学病院などに運ばれて、子宮まで、手術で取らなければならなくなった方の話など、
聞くと、私の場合は、そこまでしなかったので、非常に幸運だったといえるのではと、
今更ながら 思います。

当時の産婦人科の先生には、フィブリノゲンの止血剤が効かないのに、業を煮やし、別の手(子宮収縮剤)
を即座に打ってもらい、命を助けて頂いたと思っています。

他の産婦人科だったら、私は、今 この世に生きているかどうか わかりません



C型肝炎感染経路
私の場合  原告2番

この世の中には 必ず正義があると信じていました。
福岡地裁判決 、裁判官の意味する事、何が言いたいのか判りません。
1980年11月、 何の為に この時を指定したのでしょうか?
この月 三男が産まれました。
第一陣原告の中で、1980年11月に感染したのは、私です。
2年後の1982年11月に四男が産まれ、この子は感染しました。
長男、二男、三男、その他、私の兄弟姉妹、両親、親族、
皆、C型肝炎に無縁です
同情で生きていけません。体の変調が、わかってるにも関わらず、
多額の治療費を考えると、行き先の無い深みに嵌って抜け出せなく
もがいてる自分が哀れです。
お金が一人分でも治療費あったら、自分ではなく 息子にと思います。

高裁に向けて、弁護士の先生方が 頑張ってくれてます。
被告側の先生方、11人くらい いつもおられます。
いくら 仕事だとはいえ、この裁判を長引かせる事で
助かる命をいくつも、蹴落としているのを気づかないのでしょうか?
早い救済が人命救助につながるのに!

裁判の双方の激論を観て、天使と悪魔の戦いの様に見えました

この裁判の原告になれた事 ただひとつ良かった事があります。
それは、素晴らしい弁護士さん達と共に闘えるという事です。
この人生で逢えて良かった。